2016年3月20日

高徳院特別拝観と周辺参拝

 高徳院というと、すぐにはピンとこないかもしれませんが、
 鎌倉の大仏様と言えば、誰でもわかると思います。
 お寺の情報収集をしている時に、たまたま鎌倉十三仏詣実行委員会主催の
 特別参拝の募集をみつけました。
 2月~3月に開催されており、日程的に行けそうだった高徳院を申し込んで
 参加することになりました。

 鎌倉駅から江ノ電に乗り、長谷駅が高徳院の最寄駅です。
 その駅から高徳院に向かう途中に、これも有名な長谷観音こと長谷寺があります。
 休日は混み合うということだったので、午前中に先に訪れることにしました。

山 門 朱印所
 札所の掲示  購入した御朱印帳
 
 オリジナル朱印帳と朱印帳袋

 山門の左側に入口があり、拝観料を払って入ると、すぐ左手に朱印所があります。
 お参りの前に立ち寄って、御朱印をお願いしました。
 こちらの朱印帳も素敵なので、大判タイプの紫陽花を購入しました。
 他の方もよく持っているのを見かける朱印帳です。

観音堂 阿弥陀堂
良縁地蔵 散策路から望む由比ヶ浜
経蔵(輪蔵とマニ車が納められている) 輪蔵(毎月18日に回すことが出来る)
※マニ車はいつでも回すことが出来る

 「長谷観音」として知られる十一面観音が納められた観音堂は、
 関東大震災で被災してから再建されるまで60年もかかったとか。
 観音堂の隣にある阿弥陀堂に収められた阿弥陀如来像は、
 源頼朝公が厄除けのために建立したと言われているそうです。
 境内には、ところどころに可愛らしいお地蔵さんがいて、
 御朱印帳のモチーフにもなっています。
 経蔵から斜面を登ると散策路になっており、由比ヶ浜を遠望できます。
 紫陽花の季節には、散策路で花を観賞することが出来るようです。

かきがら稲荷 地蔵堂
大黒堂 さわり大黒
書院(写経場) 弁天堂
 
 弁天窟

 境内には、他にも写真のようなお堂が点在しています。
 大黒堂は、江の島七福神の大黒天になっています。
 神奈川で最も古いという尊像は非公開ですが、
 さわり大黒天には触りながらお参りすることが出来ます。

十一面観音 御朱印
坂東三十三観音4番?
坂東三十三観音4番
御詠歌御朱印
御朱印は、掲示されていた札所の他に、
「鎌倉三十三観音霊場」と、
「弘法大師相模二十一ヶ所霊場」があり、
それらを含めてお願いしたのですが、
後でよく見たら、「坂東4番」の御朱印が
2つになっていました。
おそらく、十一面観音の御朱印に
「鎌倉三十三観音」の印を押すべきなのを
間違えたのではないかと思います・・・。
弘法大師相模二十一ヶ所霊場
12番 御朱印
鎌倉六阿弥陀 御朱印 江の島七福神(大黒天)御朱印

 長谷寺のすぐ近くにある光則寺は、北条時頼の重臣宿谷光則の創建した寺です。
 日蓮上人が佐渡に流された時、弟子の日朗上人も光則の屋敷に捕らえられました。
 寺の裏山には、日朗が捕らえられていた土牢が残っています。
 やがて光則は日蓮上人に帰依し、屋敷を寺としたと言われています。
 文永11年(1274)頃に建立されました。

山 門 本 堂
庭の桜が咲き始めていた 山門と桜
土 牢 御朱印

 御朱印は、庫裡でいただきました。
 お庭では四季折々の花が見られるようです。
 桜はまだ少し早かったですが、おかげで空いていました。

 甘縄神明神社は、和銅7年(710年)に行基(奈良時代の僧)が草創し、
 豪族染谷時忠によって創建されたと言われ、鎌倉最古の神社と言われています。
 普段は無人の神社で、御朱印は鎌倉駅から徒歩10分の八雲神社でいただきます。
 今回は、八雲神社に回る時間がなかったので、お参りだけしました。

 
 社 頭 手水舎 
 
 拝 殿 本 殿 
境内社 秋葉神社 境内社 五所神社

 有名な鎌倉大仏は、北条得宗家の正史「吾妻鏡」によれば、
 その造立が開始されたのは1252(建長四)年。
 創建当時のことは不明な点も多いですが、当時は建物の中に収められていました。
 「太平記」などによると、地震や大風により露坐となり、荒廃が進んだとのこと。
 江戸中期に高徳院が建てられ、復興されました。

 
仁王門  国宝 阿弥陀如来像 
観月堂 大仏胎内拝観に並ぶ人々
 御朱印所  オリジナル御朱印帳
   
 阿弥陀如来(大仏)御朱印  鎌倉観音霊場23番(観月堂)御朱印

 この日の主目的だった鎌倉大仏。
 修学旅行生も来る有名観光スポットで、私も初見ではなかったですが、
 記憶が薄れていました。
 本当は、特別拝観後にすれば拝観料込だったのですが、
 特別拝観後は別のところを回る予定だったので、
 先にお参りして御朱印もいただきました。
 大仏の右手にある御朱印所で
 阿弥陀如来(大仏殿)と聖観音(観月堂)の2種類いただくことができます。
 せっかくなので、胎内拝観もしましたが、これは後で解説を聞いて、
 「触れる国宝というのは滅多にない」と住職が言っていたので、
 触ってくれば良かった~と思いました。

書院のお庭 書院内部での公演の様子

 特別拝観は、この時しか一般の人は入れないという書院で行われました。
 ご住職のお話を聞く・・・ということだったので、
 仏教系のお話なのかなと思っていたら、
 大仏の歴史などについてのお話で、とても興味深く聴けました。
 ご住職は大学の先生だということで、内容も分かりやすかったです。
 詳しい内容については、ブログに書いています。  >> こちら

 高徳院を出て、極楽寺方面に向かって歩きました。
 途中に御霊神社があります。

 御霊神社の創建は、平安後期と伝えられています。
 鎌倉周辺にいた平氏五家の先祖を祀ったことから五霊神社が建てられ、
 それが御霊と変化して、御祭神も鎌倉権五郎景正となったと推察されています。

 権五郎の命日である9月18日が例祭日となっていますが、
 その時には面掛け行列という行事が行われます。
 この面の中に福禄寿があり、宝物庫に収められており、
 これにちなんで江の島七福神の福禄寿となっています。

鳥 居 拝 殿
宝物庫(福禄寿) 弓立ての松

 私は長谷の方から歩いたので、東側の鳥居から境内に入りましたが、
 写真の正面鳥居の目の前には江ノ電が走っています。
 鳥居の右手に見える手水舎の後ろに社務所があり、御朱印をいただくことが出来ます。
 黒々とした太い文字が勇ましい御朱印です。

手水舎(正面)と社務所(背後) 江ノ電と桜
 
 御朱印 江の島七福神 福禄寿 御朱印 

 御霊神社の正面鳥居を出て、西に向かうと成就院がありますが、
 その手前に「星の井」と「虚空蔵堂」があります。
 虚空蔵堂は鎌倉成就院の境外仏で、成就院で御朱印がもらえるので、
 お参りしてから成就院へ向かうことにしました。

 天保年間に行基僧正が、地元の星月の井を覗き込んだところ、
 虚空蔵菩薩のお姿が現れたため、それを仏像に彫り安置しました。
 のちに源頼朝公がこの虚空蔵菩薩を崇敬して、運慶に外陣仏を彫らせたそうです。
 秘仏ですが、毎年正月十三日に御開帳があるそうです。
 また、舟守地蔵は、船舶水全般へのご利益の他、
 願いを叶える地蔵様とも言われるそうです。

星の井 虚空蔵堂(奥)と舟守地蔵(左手前)
虚空蔵堂に続く階段 虚空蔵菩薩 御朱印

 虚空蔵堂の道を挟んで海側に成就院本堂があります。
 成就院は、鎌倉幕府三代執権北条泰時が承久元年(1219年)に建立。
 元弘三年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移っていました。
 元禄年中(1700年頃)の江戸時代に、祐尊僧正により元の地に再建されました。 

東結界 山 門
本 堂 子安地蔵・子生み石
ご本尊の不動明王は、
縁結びのご利益があるそうで、
境内には若い女性の姿が多かったです。
ご本尊の不動明王、
聖観世音、虚空蔵菩薩の
3種類の御朱印がいただけます。
後で気づいたのですが、HPには
「一度にいくつもの御朱印を受ける
ついで参りは止めましょう」と
なっていました(^^;
現地では特に注意されませんでした。
縁結び不動明王像(本尊分身)
   
不動明王 御朱印 鎌倉三十三観音21番 御朱印 

 最後は、江ノ電の駅名にもなっている極楽寺。駅のすぐそばにあります。
 正元元年(1259年)に深沢に創建され、
 開基となる北条重時が現在地に移転しました。
 かつての寺域は広大で、施療院などもあったそうです。
 中井貴一と小泉今日子が主演の「続・最後から二番目の恋」など、
 ドラマのロケ地としても有名とのこと。
 境内は撮影禁止です。導地蔵堂は、境内の外にあります。

山 門 導地蔵堂
鎌倉三十三観音22番 御朱印 鎌倉十三仏12番 御朱印
鎌倉24地蔵20番 御朱印 鎌倉24地蔵21番 御朱印

 御朱印は、本堂の左手にある授与所でいただきました。
 オリジナルの御朱印帳もおいていました。
 こちらは、御朱印帳への書き入れのみで、書置き対応はしていないようです。

 鎌倉はご朱印を集めるようになって2度目の訪問でしたが、
 まだまだ行きたいところが目白押しです。
 帰りは、大混雑の江ノ電でした。
 鎌倉駅からは始発なので、なんとか座れましたが・・・。
 前回は北鎌倉から乗ったので、横浜まで混雑が続きました。
 その辺りも考えて日程を組むといいかもしれません。
 充実の御朱印ぷち旅でした。

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