2016年1月31日
お正月の御朱印と大田区お宮めぐり
1月限定御朱印を絡めて、大田区お宮めぐりも一緒に回ることにしました。
前年の9月に続いて、2度目の参拝でした。
1月中は限定朱印がいただけるのですが、1月最終日で日曜日ということで、
境内は御朱印を求める人で混み合っており、20分ほど待ちました。
前回いただきそびれた天祖神社の御朱印(通常のもの)もいただきました。
社 殿 | 白蛇様と弁天様 |
上神明天祖神社 御朱印 | 1月限定御朱印 |
次の目的地に向かうために、東急池上線の「荏原中延」駅に行こうとしたのですが、
方向を間違って「旗の台」駅の方に向かってしまい、その途中で見つけたのが
旗岡八幡神社です。
社 頭 | 拝 殿 |
長元三年(1030年) 平忠常の乱を平定すべく、 朝命を奉した甲斐守源頼信公が 下総へ赴く際、この地に宿営し、 戦勝を祈願したのが発祥とされています。 当時源氏の白旗を上げて陣を構えていた 様子から、旗の台や旗岡の地名の由来と なったそうです。 御朱印は、拝殿の右手にある社務所で いただきました。 |
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御朱印 |
東急池上線の「洗足池」駅で降りると、すぐそばに洗足池が見えます。
池を回り込むように歩くと、やがて鳥居が見えて来ます。
洗足池 | 鳥 居 |
拝 殿 | 大田区お宮めぐり |
境内社 神明社 | 境内社 稲荷社 |
千束八幡神社は、860年(貞観2年)に 千束郷の総鎮守として宇佐八幡から 勧請されました。 10世紀前半の平将門の乱の際に 鎮守副将軍として関東へ派遣された 藤原忠方は、その後千束八幡を氏神として この地に残り池上姓を名乗ったそうです。 1180年(治承4年)、安房国から鎌倉へ 向かう途中の源頼朝がこの地に宿営した ところ、名馬「池月」を得たとも 伝えられています。 |
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御朱印 |
御朱印と大田区お宮めぐりの判は、拝殿の左手にある社務所でいただきました。
「千束八幡神社」ですが、「洗足池八幡宮」と書いて下さいます。
洗足池の周辺には、他にも弁財天や勝海舟夫妻の墓などがあります。
千束八幡神社から雪ヶ谷八幡神社へは歩いて向かいました。
途中には「宮前坂」という坂があり、「八幡神社の前の坂であるため
宮前坂と呼ばれた」とありました。坂下には宮前橋というのもあるそうです。
宮前橋のかかる呑川は、蒲田駅近くを通って流れています。
宮前坂 | 社 頭 |
拝 殿 | 大田区お宮めぐり |
雪ヶ谷八幡神社の創建は 永禄年中(西暦1557~1569)とされ、 北条左京太夫氏康の臣大田新六郎が 管内巡視の際、当初において 法華経曼荼羅の古碑を発掘し、 その奇瑞により八幡大菩薩を創祀したと 伝えられています。 旧中原街道沿道随一の由緒深き神社として、また雪ヶ谷の里の鎮護の神として 四百五十年の歴史ある神社です。 |
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御朱印 | |
摂社 斎霊殿 | 庚申塔群(猿田彦命) |
御朱印は、拝殿右手にある授与所で いただきました。 庚申塔群は駒形の石塔で、 大田区の文化財になっています。 四連社のうち右から2番目が菅原道真公を 祀る天神社で、1月25日の初天神には 天神祭が行われます。 |
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末社 四連社 |
大田区のこの辺りには、源氏の伝説が残っているのだなと思いました。
千葉もそうでしたが、江戸周辺は武士文化なんだなと感じました。